2010年度研究会のお知らせ(ほぼ決定版)

 日時 8月22日(日)14時〜17時
 場所 東京学芸大学人文科学研究棟1号館(サンシャイン)6階 社会科教育演習室


 発表内容 今回の発表者は最終的に3名となりました。

発表者① 『研究報告〜小学校社会科における児童の学習意欲を高める振り返り活動の工夫ー授業間のつながりに着目してー』
 現在、教職大学院で学び、小学校をフィールドにして研究されている方に、夏休み前まで約1か月半の実習をふまえた、研究内容のことや今後の方針を発表していただきます。

 

発表者② 『高等学校・日本史の実践報告〜社会科の意義をふまえた日本史学習について〜』
 現在、都内の公立高校(定時制)で、教壇に立たれている先生の実践報告です。以下が発表の概要です。



 今回は、6月に行った日本史Aの実践報告です。内容は、大日本帝国憲法(明治憲法)です。立憲主義の視点から明治憲法を学習するという趣旨で授業づくりをしました。第一条と第四条を対比しながら欽定憲法立憲主義の相克を読み解いていくというものですが、はたしてその目標は達成できているのか、いろいろ意見や批判をいただけたらなと思っています。よろしくお願いします。では、当日を楽しみにしています!

発表者③ 『高等学校・地理の実践報告〜社会科の意義をふまえた地理学習について〜』

 
 これは、自分です。現在都内の公立高校(工業高校)で、主に地理A・地理Bを教えていますので、当日は、1学期に行った自らの実践を総合的に振りかえり、みなさんの批判をいただきたく思っております。



 自分は社会科の目標である「社会認識形成を通して市民的資質を育成する」ということをふまえ、これまで1学期には、地理を、地図情報という観点だけでなく、広く社会を認識する教科として位置付け、こちら側が「ネタ」として情報を提供する形で授業を行ってきました。



 その観点から今回は、6月に行った地理Aの実践報告「世界の貿易の意義と課題〜ポンジュースを事例に〜」と、「日本の気候とクールビズ」の2つを示します。うち、ポンジュースについては生徒に感想を書かせましたので、その感想も提示したいと思っています。


 以上3つの報告となりました。なお、今回は発表者の人数が減った関係で、発表・討議を含めて45分に変更したいと思います。なお、時間配分については45分の中で発表者にお任せしたいと思います。



 発表時間
 発表① 14時〜14時45分
 発表② 14時45分〜15時30分
 休憩  15時30分〜15時45分
 発表③ 15時45分〜16時30分
 授業に関する討議 16時30分〜17時
 



 なお、17時30分から懇親会も予定しています。



 今回は、管理運営を一手に担っている自分の不手際で、当初予定よりも発表内容が減ってしまったこと、を深くお詫びしたいと思います。これは、ひとえに自分に人徳がないからだと反省しています。



 みなさん、22日はふるってご参加ください。現在のところ、参加人数そのものも全く把握できていないことから、「研究会」と呼ぶには非常に恥ずかしいぐらいの参加人数になるのでは…?と思っています。よくいえば「内輪の勉強会」、悪く言えば「茶話会」となってしまう危険性が高いので、そうならないよう、極力みなさんの参加をお待ちしています。




 今回はいずれも学校現場をフィールドにした実践報告が中心となっております。明日の授業にもきっと役立つ内容かと思いますので、みなさんぜひ参加のほどよろしくお願いします。



 

高等学校の地理は意外と面白い!

 昨日は、都の地理歴史科の研修でした。
 昨日の歴史のは「・・・」って感じでしたけど、地理のはものすごく面白かった。
 新指導要領の説明をしたのも広島の人だったので、改訂された地理のテーマでもある「動態地誌」についても理解できたし、地理Bでは、「静態地誌」(網羅的)、「動態地誌」(トピック的)、「比較地誌」の3つを使い分けて、その地域の特色を教えることが重要である、ということが理解できた。



 何よりもその後の実際例の際に講義されていた都立高校の地理の先生がものすごくよかった。



 地理屋さんにも大きく2つのタイプがあるように自分は思う。
 ひとつは、「地理というアイデンティティを強く意識して授業をするタイプ」、つまり、地図は正確に書かないといけない、現地に行ってきた経験が豊富で、写真を見せまくってその地域の特徴だけをひたすら追いかける、地名や特産物など、地域の特徴に強いこだわりを持つ、そんな先生がいるでしょう。
 そんな先生は、昨日の「日本史の」教員と一緒で、「地理の」教員というアイデンティティを強く持っている、そんな気がします。



 でも、教えてくださった先生は違っていました。
 以下、その先生が授業していて、印象に残ったことを羅列していきます。

  • 地理屋さんなのに世界地図が適当(赤道なんて曲がっていたし)。つまり、細かい地図にはこだわりをもっていない。
  • インド・中国・日本・インドネシアに人口が多く集中している→この地域の生産の中心は米であり、米は水の多い所で生産される。そもそも東南アジア一帯には夏にモンスーンが吹いているから、雨が多くなり、これが稲の生育に影響を与えている、みたいな感じで説明していた。それとの対比で、小麦は連作が効かないから生産能力は少ない。だから、ヨーロッパの人口はそれほど増えない、みたいな話もしていた。つまり、現象の本質(「なぜ〜」)を教えていた。
  • 中国は一般的に「西低東高」の経済体制と言われているが、これは、中国だけの問題ではないのではないか。ベルギーは?日本は?東京都は?みたいな感じで、同じ事例を他地域にもあてはめようとしていた(一般性の抽出)。
  • だからこそ、東京都の地形で、台地のところでは水田がひけず、小麦が生産され、そこから「うどん」なども小麦を使ったものが生まれる、また、水をひくために江戸時代のオランダの「風車」を参考に、「水車」が生まれた、という話から、ある生徒が「そうか、だから道頓堀には水車があるんだ!」という発言をしていたという話をしていた。これは、一般性を他の事例にあてはめている=思考・探究している典型と言えるのではないだろうか。


 これは単純に明日の地理の授業に使っていきたいと思ったのですが、それよりもすごかったのが、地理Aの授業で、テスト後の数時間を使って、論争問題学習を積極的に取り入れていたことにものすごく感銘を受けました。


 例えば、その先生の勤務校はうちの大学の近くなので、「けやき市のゴミ焼却をめぐる問題について、どこにゴミ焼却場を建てればよいか」「ある国に、ファンドが入ってくればインフラが整備され、経済が発展する、その一方で、伝統的に住んでいる民族はその地を追われなければならないというモラルジレンマをあなたはどう考えるか」などが紹介されていました。
 そして、これもやりっ放しではなくて、同じような事例はないか、本来こうした問題(ゴミ問題)は、政治家が解決する問題ではないか、のような形でオチをつけているらしいです。



 新指導要領で共通して叫ばれている「言語活動」をその地理の先生は、「論争問題学習」に置き換えて、学期末のテストが終わって何もない時期にこうしたことをやったらどうか、と提案されていました。




 これこそ、自分が何年間もかけて追い求めようとしている「社会科」の授業だな、と感じました。
 その先生も、つまるところ「社会科」の目標は、社会参画(自分で考え、自分で選び、そして選挙で票を投じる)なのだから、この目標に沿って、授業をしていかなければならない、とおっしゃっていました。
 



 こういう先生は、「地理の」先生ではなく、間違いなく「社会科」の教師であると言えるなあ、と自分は思いました。
 かつて、附属中の地理がうまい先生が、「地理はよくも悪くも何でも屋」、また、初任者研修で日本史の指導教官から伝え聞いた話ですが、隣の地理分科会の先生が、「地理というのは、これさえ読めばよい、という本は一冊もない」ということを言われていたそうです。
 



 つまり、「地理学」としてはそれが足かせになるのでしょうが、「地理教育」にとってはそれがプラスに作用する、つまり、「社会科地理」、「地理教育の公民化」がいくらでも可能なんだな、特に地理Aという受験を意識しない教養科目では、それが強く求められているんだなあ、ということを感じました。
 昨日の地理の先生も、「まあ、1年生だし、何となく地理って楽しいな、って感じてもらえればそれでいいかな、って感じで授業しています」とおっしゃっていました。こんな授業されたら、多くの生徒がきっと「楽しい」と思うはずです。現に僕は、ものすごく「楽しかった」。




 だから僕は、今の勤務校で地理を持てていることがものすごく幸せだし、日本史必修化で、地理がなくなっちゃうのは嫌だなあ、と最近は感じています。
 僕は、地歴科の教師として生きていくなら、日本史よりは地理の方が向いているのかもしれないなあ、と感じました。同時に、初任者研修のあんな細々したことをいちいち気にする人たちだけが東京都にいるのではない、ということが分かっただけで、少し勇気がわいた研修でした。




 (追記)
 そういえば、僕がしこたま眠いと思った授業をした先生は、雑談した際に、かつて講師時代に地理も教えていたらしく、「受験地理って本当に覚えること多いんだよねえ」と言いながら、地理の細かな知識を説明していました。
 それは、地理を歴史と同一視しているから(つまり、地理も特産物を覚えるものだと思っているから)であって、少なくとも上の先生のように、一般性の抽出、物事の本質を意識すれば、地理は難しくないし、むしろ楽しいものだと思うのですが、いかがでしょう。
 まあ、しょうがないですよね。「受験」を意識して教えたらそうなりますから♪でも、受験の関係ない人にそんな教え方しても通用しないと、僕は思いますけどねえ・・・。
 今のは、その博識な初任者の先生へのひがみです(笑)。

2010年度研究会のお知らせ2

 夏休みも半ばとなり、皆さま部活に、授業研究に、様々な研修に、精を出していることと思います。



 8月22日(日)に、研究会を行うことは既にお知らせいたしました。
 現段階で、一応発表者は4名となる予定です。
 うち、小学校1つ、高等学校3つと、かなりいびつな構成となってしまいました。また、高等学校については、世界史、日本史、地理と3つの報告となる予定でいます。



 また詳しい内容については、追って詳細を載せていきます。
 


 それで、発表者が4名となった関係で、今回の研究会は午後2時からの開催にしたいと考えています。
 また、課題研究についてですが、発表者がそろわなかった関係で今回は中止し、すべて自由研究にシフトしたいと思います。



 現段階での実施予定です。
 日時 8月22日(日)14時から
 場所 東京学芸大学人文科学研究棟1号館(通称サンシャイン)6階社会科教育演習室
 プログラム
  1 自由報告(14時〜16時)
  2 意見交換会(16時〜17時)
 発表形式 ひとり30分(報告20分、質疑応答10分)を予定




 それで、レジュメ枚数確認の関係上、参加の都合がつく方は、私のメール(aoimori2006@yahoo.co.jp、実際にメールする際には、@を小文字にしてください)までご連絡ください。



 あらゆる意味で、社会科における交流の場となれば、と願っておりますので、たくさんのご参加をお待ちしております。

     

宿泊研修で感じたこと

 本日、初任者研修の一環として行われた宿泊研修が終わりました。今回の宿泊研修では、全員の先生が日本史の模擬授業を行い、その授業をみんなで批評し合う、というのが主な内容でした。

 しかし、僕にはどうしても解せないことがいくつかありました。

 その中でも最たるものが、「事象を正確に伝えようとする細かさ」です。




 例えば、5世紀の朝鮮半島には、加耶諸国がありました。かつては、「伽耶」と「にんべん」がついていたのですが、今は「加耶」とつかないんだそうです。

 また、「百済」も「ひゃくさい」「くだら」「ペクチャ」など、読み方が多様にあるわけです。




 こんな漢字の違いや読みの違いは、当然生徒は気になってしまいます。特に、受験をしようとしている生徒ならなおのこと「どっちが正しいの?」と聞いてきます。




 でも、僕は心の中で

 「そんなのどっちだっていいじゃねーか」

 って思ってしまいました。




 しかも指導教諭の先生が、どの先生の協議会でもしきりに事象の「よみ」とか「漢字」とかを細かく指摘し、「これを知っていた上で、敢えて教えないのと、知らないのとでは雲泥の差だ」と、まるでこういう細々した知識を覚えていることが教師の資質であるかのように語っておられました。




 その時に僕は、「ああ、この先生はあくまで「日本史の」先生なんだなあ」と強く感じました。




 確かに現行の高等学校のカリキュラムでは、「社会科」という科目はなく、「地理歴史科」と「公民科」に分かれています。さらにその中で、「世界史」「日本史」「地理」などのようにさらに細分化されています。




 でも、「地理歴史科」だろうが、「日本史」だろうが、子どもには「社会科」の基本目標である「社会認識を通した市民的資質の育成」を基本にすえ、そうした視点から歴史を見せていかないと、子どもにとって日本史が有益なものにならないと自分は考えています。特に、現任校が受験をあまり必要とせず、18にして社会の荒波に出ていこうとする生徒ばかりであるからなおのことそう思うわけです。




 つまり、高等学校の先生であっても、教科の基本は「社会科」であって、「日本史だけ」であってはいけないと思うわけです。




 でも、指導教諭の先生はこれと真逆の発想でしたね。何でも文学部出で、教育学部のような授業をする先生は先生っぽくてあまりお好きではないようです。

 また、「大正デモクラシー」を「選挙権」との関連で授業をした先生に対しては、「これは日本史の授業っぽくないね」という始末。




 そんなに「日本史」って偉いのでしょうか。そんなに「伊治呰麻呂」の「伊治」は「これはり」と「いじ」の両方の読みがあることを示すことができる先生は、素晴らしいのでしょうか。少なくともその先生は、完全なる塾授業で、塾の授業としては神レベルでしたし、板書も神レベルでしたが、僕はものすごく眠かった。




 僕は例え「日本史」という枠で教師の資質を図ったとしても、そんなところに日本史の、歴史の本質はないような気がしたのですが…。ですし、本来は「日本史」の教師ではなく、「社会科」の教師としての資質をみがくことの方が重要であるような気がしたのですが…。




 まあ、自分が時間の都合上、10分しか授業をさせてもらえず、しかもテンパったまま授業をしてしまい、ろくろくアドバイスももらえなかったことをひがんでいるだけなんですけどね。他の先生は50分全部やって、40分近いアドバイスをもらっているのに・・・。





  これは、本当に「地理歴史科」の弊害だなあ、と僕は思ってしまいました。



 これは、結局「日本史」「通史」「教科書」を前提にしている以上、討議の際の評価基準が、どうやったって、「授業技術」か「細々した歴史知識」にしかいかないんですよね。

 今回の研修で、やっぱり高等学校は「歴史学教育」(少なくとも今回の討議は「歴史教科書教育」かな)でしかないんだな、と改めて、かつ実感をもって思いました。


 以上

2010年度研究会のお知らせ

 3月以来、このブログを放置していて申し訳ありません。




 夏休みに入りましたので、ようやく少しは研究会についてのことができます。




 一応下記の要綱で行っていきますので、奮ってご参加ください。




 2010年度研究会


 実施日時 8月22日(日)
 時間   午前10時〜12時
      午後13時〜17時
 (参加人数・報告人数によります。人数が少ない場合は、午後のみにします)


 内容   午前→①課題研究(法関連教育の授業化について(予定))
      午後→②自由報告
         ③授業に関する意見交換会
      夜 →懇親会





 参加可能な方は、私のメール(aoimori2006@yahoo.co.jp、実際にメールする際には、@を小文字にしてください)までご連絡ください。
 また、報告してくださる方も合わせて募集します。報告してくださる方は、その旨をメールにてお知らせください。




 一応、今年度は「とりあえずみんなが集まる」ことと、「とりあえず何でもいいのでやってみる」というお試しのようなコンセプトで行っていきます。そのため、敷居は低いと思いますので、ぜひともご参加のほど、よろしくお願いいたします。




 夏休みはちょくちょく更新させていただきますので、よろしくお願いします。

本田由紀『教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ』(ちくま新書、2009)

 本田先生の考えは、去年の7月に日本カリキュラム学会で聞き、非常に感銘を受けた一方、知っていた考え方だったので買うかをためらっていましたが、実業系の高校に就職が決まったので、改めて購入して読み返してみました。



 この本では、タイトルにもある「教育の職業的意義」と本田氏が定義するものが、いかに日本では軽視されてきたか、また、軽視されているかについて、これまでの社会構造と教育との関係を通して述べられている。



 本田氏は教育の職業的意義を高めるためには、仕事をする際の、<抵抗>と<適応>の両面を重視した教育が必要であると述べる。<抵抗>とは、働く者すべてが身につけておくべき、労働に関する基本的な知識であり、<適応>とは、個々の職業分野に即した知識やスキルである。<抵抗>の術を知っていれば、働かせる側の理不尽な要求に対し、法律や交渉などの手段を用いて抵抗できるはすだし、<適応>の術を知っていれば、自分のスキル、得意分野を活用して社会で働いていくことができる、そういう側面を持っていると本田氏は述べる。



 とりわけ「教育の職業的意義」と似て非なる文部科学省推奨の「キャリア教育」を、「夢を持つこと」「自己実現すること」を強要しているため、ダンサーやトリマーなど、人気が高く、希少で、学歴不問のASUC職業ばかりを追いかけてしまっていること、求める能力が先に挙げたような「自己実現能力」や「生きる力」のような「汎用的・基礎的能力」であるために、具体的に何をしていいか分からず、結局現場に丸投げ。結果として、生徒の進路選択は個人の自己責任に帰している現状分析はさすがの一言である。


 
 究極的には文部科学省の求める「キャリア教育」は、社会に出ていく以上必要です。ただし、その教育の範囲を無尽蔵に拡大するのではなく、社会科にできること、高等学校でできること、など限定してとらえていくことが重要なのかな、と感じるこの頃です。現場に出たら、自分の専門性でできる「キャリア教育」を模索していけたらな、と思います。



 個人的には、キャリア教育を考えている人にはぜひ読んでほしい一冊です。

 

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

海原悠雲「やる気の育て方―モチベーションを高め持続させる仕組みを作る―」(インフォトップ出版 2009)


 見た目はハウツー本の自己啓発書である。教育産業に携わる人間や心理学を専攻されておられる方からすると、邪道でありクソ本とののしられる可能性もある。

 しかし、この本に書いてあることは、様々なやる気が起きない人間に対して、モチベーションを高め持続する技術、自信をつける技術を示しているところが魅力である。

 科学的な手法だと感じた(著者がNLPという心理学の一分野のプロ)のは、「自信」を基準に人間を4タイプに分け、最も自信があるタイプになるための具体策を紹介している。



 少し内容を話すと、人間は誰しも過去のツライ経験を通して、無意識に自分の行動にブロックをかけたり、やる気を出せない状態のまま大人になってしまう。

 しかし、これは科学的な手法によって、大部分が改善できる。改善策として、


 1.自分の行動に価値を感じる
 2.自分を評価する
 3.人間関係を改善する


 という3つの具体策が掲載されている。



 燃え尽き症候群の大学生、五月病の社会人などはもちろん、学校現場では不登校生徒、やる気ない不良に対して、効果的な指導をするヒントを得られるように思う。

 「やる気」というのは、自然に湧き出てくるものではなく、人間の心や脳のメカニズムに基づいて対応していけば、ある程度向上させられるのである。「やる気」を高め、持続させるというのは、いわばスキル(自動車の運転やパソコンの使い方と同じ!)なのだということが、理解できる本だと考える。(この本のおかげで、私の学級の不登校の生徒も、かなり登校率がアップしました!!)

やる気の育て方―モチベーションを高め持続させる仕組みを作る

やる気の育て方―モチベーションを高め持続させる仕組みを作る