宿泊研修で感じたこと

 本日、初任者研修の一環として行われた宿泊研修が終わりました。今回の宿泊研修では、全員の先生が日本史の模擬授業を行い、その授業をみんなで批評し合う、というのが主な内容でした。

 しかし、僕にはどうしても解せないことがいくつかありました。

 その中でも最たるものが、「事象を正確に伝えようとする細かさ」です。




 例えば、5世紀の朝鮮半島には、加耶諸国がありました。かつては、「伽耶」と「にんべん」がついていたのですが、今は「加耶」とつかないんだそうです。

 また、「百済」も「ひゃくさい」「くだら」「ペクチャ」など、読み方が多様にあるわけです。




 こんな漢字の違いや読みの違いは、当然生徒は気になってしまいます。特に、受験をしようとしている生徒ならなおのこと「どっちが正しいの?」と聞いてきます。




 でも、僕は心の中で

 「そんなのどっちだっていいじゃねーか」

 って思ってしまいました。




 しかも指導教諭の先生が、どの先生の協議会でもしきりに事象の「よみ」とか「漢字」とかを細かく指摘し、「これを知っていた上で、敢えて教えないのと、知らないのとでは雲泥の差だ」と、まるでこういう細々した知識を覚えていることが教師の資質であるかのように語っておられました。




 その時に僕は、「ああ、この先生はあくまで「日本史の」先生なんだなあ」と強く感じました。




 確かに現行の高等学校のカリキュラムでは、「社会科」という科目はなく、「地理歴史科」と「公民科」に分かれています。さらにその中で、「世界史」「日本史」「地理」などのようにさらに細分化されています。




 でも、「地理歴史科」だろうが、「日本史」だろうが、子どもには「社会科」の基本目標である「社会認識を通した市民的資質の育成」を基本にすえ、そうした視点から歴史を見せていかないと、子どもにとって日本史が有益なものにならないと自分は考えています。特に、現任校が受験をあまり必要とせず、18にして社会の荒波に出ていこうとする生徒ばかりであるからなおのことそう思うわけです。




 つまり、高等学校の先生であっても、教科の基本は「社会科」であって、「日本史だけ」であってはいけないと思うわけです。




 でも、指導教諭の先生はこれと真逆の発想でしたね。何でも文学部出で、教育学部のような授業をする先生は先生っぽくてあまりお好きではないようです。

 また、「大正デモクラシー」を「選挙権」との関連で授業をした先生に対しては、「これは日本史の授業っぽくないね」という始末。




 そんなに「日本史」って偉いのでしょうか。そんなに「伊治呰麻呂」の「伊治」は「これはり」と「いじ」の両方の読みがあることを示すことができる先生は、素晴らしいのでしょうか。少なくともその先生は、完全なる塾授業で、塾の授業としては神レベルでしたし、板書も神レベルでしたが、僕はものすごく眠かった。




 僕は例え「日本史」という枠で教師の資質を図ったとしても、そんなところに日本史の、歴史の本質はないような気がしたのですが…。ですし、本来は「日本史」の教師ではなく、「社会科」の教師としての資質をみがくことの方が重要であるような気がしたのですが…。




 まあ、自分が時間の都合上、10分しか授業をさせてもらえず、しかもテンパったまま授業をしてしまい、ろくろくアドバイスももらえなかったことをひがんでいるだけなんですけどね。他の先生は50分全部やって、40分近いアドバイスをもらっているのに・・・。





  これは、本当に「地理歴史科」の弊害だなあ、と僕は思ってしまいました。



 これは、結局「日本史」「通史」「教科書」を前提にしている以上、討議の際の評価基準が、どうやったって、「授業技術」か「細々した歴史知識」にしかいかないんですよね。

 今回の研修で、やっぱり高等学校は「歴史学教育」(少なくとも今回の討議は「歴史教科書教育」かな)でしかないんだな、と改めて、かつ実感をもって思いました。


 以上